カナダの「MAID」制度が投げかける問題:医療的援助による死と高齢者ケア

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「自分の人生の最期は自分で決めたい」

人生をどのように終えるかは、個人の尊厳に関わる重いテーマです。しかし、医療の進歩と平均寿命の伸びがもたらした「超高齢社会」によって、こうした「自己決定権」の裏には、国家の財政や社会保障、社会の経済合理性といった冷徹な論理が見え隠れします。

カナダで合法化されている「医療的援助による死(MAID)」制度は、当初の理念を超え、今や「貧困や福祉の欠如」に苦しむ人々が自死を選ぶきっかけになっているという、衝撃的な現実が明らかになってきました。

まだMAID制度を持たない日本にとって、高齢者が抱える将来の「生きるコスト」と「死を選ぶ自由」をどのように捉えればよいのでしょうか。

この記事では、カナダのMAIDについて紹介します。

「尊厳死」の先にある冷徹なコスト計算

カナダで合法化されている「医療的援助による死(MAID: Medical Assistance in Dying)」制度は、世界的に見ても自由度の大きな安楽死制度の一つとして知られています。2016年の当初、MAIDは「耐えがたい苦痛を伴う終末期の患者」のために導入されました。

しかし、2021年、カナダ政府はC-7法案を改正し、MAIDの適用範囲を「死が合理的に予見可能ではない」人々、すなわち末期ではない慢性疾患や障害を持つ人々にまで拡大しました。終末期以外の患者にも門戸が広げられたMAIDは、医療倫理の枠を超え、国家の社会保障制度と財政負担のあり方、そして「命の価値」に対する冷徹な経済合理性を持ち込む、ある種の社会実験とも言われています。

なぜ、自己決定権の尊重といった趣旨の下、MAID制度が大幅に拡大されたのでしょうか。背景として、医療と介護に関するコストが膨大になっている事実があります。

長期介護の「生きたコスト」とMAIDの「安いコスト」

高齢者や障害を持つ人々に対する長期介護(Long-Term Care: LTC)や、適切な社会支援は、先進国共通の課題です。カナダでも同様で、国家予算を圧迫する大きな要因となっています。

終末期ではない重度の障害者が尊厳ある生活を送るためには、バリアフリー化した住宅や24時間体制の介護スタッフ、医療機器、生活給付金が必要なため、年間にまとまった予算が必要です。

一方、MAIDのプロセスにかかる費用は、数回の医師の診察と実施コストのみで、長期介護に比べれば「安いコスト」で済んでしまいます。MAID推進派は「医療費削減が目的ではない」と主張し、カナダの議会予算局(PBO)も、MAIDによる医療費削減効果は連邦政府の医療予算のわずか0.08%にすぎないと試算しています[S2]。

しかし、その「わずか0.08%」といわれる経済合理性が、社会的に弱い立場にある個人の意識に働きかけ、自ら死を選ぶ動機の一つとして機能する恐れは否定できません。

「尊厳ある生」の欠如が「尊厳ある死」を求める

こうした経済的なコストをどう考えるかが、MAID制度の大きな問題点です。

カナダでは、実際に多くの人が、耐えがたい「痛み」ではなく、「貧困」「住居の欠如」「適切な医療・介護サービスへのアクセス不足」といった社会的な苦痛を理由にMAIDを申請しているケースが多く報告されています。

● 適切な福祉が受けられず、経済的に困窮しMAIDを申請した重度の障害者のケース(その後、寄付金が集まり申請を取り下げた)
● 国連の障害者の人権に関する特別報告者により、「施設や病院にいる障害者にMAIDへの圧力がかかっている」という報告がなされたこと

こうしたケースを知ると、個人の自由意志による選択としてMAIDが機能しているのではなく、社会保障のセーフティネットの崩壊によって社会的弱者が世間からの疎外感を強め、死を選ぶ方向に追いやられているとも考えられます。

「誰もが尊厳ある死を選ぶ権利」を謳う一方で、MAIDの制度が拡大していくと「誰もが尊厳ある生を送る権利」を保障する社会的責任が果たされない社会になってしまう恐れが高まるからです。

医療制度が逼迫し、終末期ケア(緩和ケア)が十分に受けられなくなる一方、ある程度容易にMAIDが利用できる現状は、国家が「生きるための支援」よりも「死を選ぶ手助け」を優先している、という見えないメッセージとして受け取られかねません。

なお、当初2024年に予定されていた「精神疾患のみを理由とするMAIDの容認」について、カナダ政府は2027年まで延期することを決定しています。

超高齢社会・日本への警告

世界に先駆けて超高齢社会を迎えた日本は、医療・介護費の増大という同じ課題に直面しています。現時点では法的にMAID制度はありませんが、財政的な負担増が続けば、「終末期の自己決定権」を拡大すべきだという議論が、将来的に経済合理性を伴って急浮上する可能性は否定できません。

カナダの事例を日本の問題に当てはめると、次の3つの問題が浮かび上がります。

医療費の削減や社会保障の効率化を目的として、安楽死の議論を進める制度設計には問題が大きいでしょう。

「尊厳ある死」の議論を始める前に、まず「尊厳ある生」を保障する介護サービス、住環境、経済的支援の整備が、国や社会の役割です。

社会的な苦痛や貧困によって、そのまま個人の死を選ぶといった悲劇が起こらないように、セーフティーネットをより一層充実していく必要があります。

まとめ

このように、カナダのMAID制度の現状を見ていくと、「死の権利」を制度化するより前に、国や社会がやるべきことはまだまだ多いと言えます。まずは「社会がどこまで国民の命を守り抜く責任を負うのか」という、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(日本国憲法第25条)の保障を手厚くする先に、MAIDの議論があるのではないでしょうか。

【参考文献
webちくま「安楽死が合法化されたカナダで起こっていること」
shiruto.jp「安楽死が認められている国のいま 合法化から5年・カナダの現状を専門家が解説」
クーリエ・ジャポン「カナダが「医療介助死」を世界最速のペースで実行できている理由」
Uzair Jamil, Joshua M. Pearce “Government Economics of Expanding Canada’s Medical Assistance in Dying to Vulnerable Populations and the Ethical Implications of Allowing the State to Control Death,”2025